ずっと行きたかった場所、というのはいくつかありますが、軍艦島はその中でもかなり上位にありました。
長崎の沖に浮かぶ、廃墟だらけの無人島。写真集や旅番組で見るたびに、「いつか絶対に自分の目で見たい」と思っていた場所です。
そこに追い打ちをかけたのが、2024年に放送されたドラマ「海に眠るダイヤモンド」です。軍艦島(と、そこをモデルにした架空の島)を舞台にした群像劇で、あの独特な景色をドラマの中で何度も見せられているうちに、「行きたい」という気持ちが「今年中に絶対行く」というレベルまで一気に膨れ上がっていきました。
そして今回、九州遠征のついでに、ついに念願の軍艦島上陸を果たしてきたので、その記録をここに残しておこうと思います。今回使ったカメラはX100Ⅵです。
廃墟という被写体との相性が良さそうだと思って持って行ったのですが、期待以上に良い仕事をしてくれました。

前日は九州遠征の道中、福岡の中洲で屋台をはしごしました。名物の屋台が立ち並ぶ雰囲気を味わいながら、旅の高揚感もあっていつも以上に食事が美味しく感じられました。明日はいよいよ軍艦島だと思うと、なかなか寝付けなかったのを覚えています。
長崎港から、いざ軍艦島へ
軍艦島には個人で勝手に上陸することはできず、国の許可を受けた上陸クルーズに申し込む必要があります。今回利用したのは「㈱シーマン商会」のツアーです。長崎港のターミナルで受付を済ませ、乗船券を手にした瞬間から気分が一気に高まりました。

船に乗り込み、長崎港を出港しました。しばらくは穏やかな湾内をのんびり進んでいくのですが、ガイドさんのアナウンスが始まると船内の空気が一気に観光モードになります。天候や波の高さによっては上陸できないこともあるらしく、「本日は無事に上陸できそうです」というアナウンスに、思わず小さくガッツポーズをしてしまいました。実際、この日は曇り空ではあったものの海は穏やかで、絶好の上陸日和だったようです。

湾を抜けると、進行方向にぽつぽつと小さな島影が見えてきます。ガイドさんが「あちらに見えるのは高島です」「あの島にも昔は炭鉱がありました」と、通り過ぎる島々についても丁寧に解説してくれるので、退屈する暇がありません。この一帯がかつて石炭でにぎわった地域だったということが、実際に海から眺めるとよく実感できます。

船に揺られること約40分、水平線の向こうに小さな影が見えてきます。最初は本当に小さな黒い点だったのに、船が進むにつれてみるみる輪郭がはっきりしてきて、あの独特なシルエット――ごつごつとしたコンクリートの塊がそのまま海に浮かんでいるような形――が姿を現した瞬間は、素直に「うわ、本物だ」と声が出ました。周りの乗客たちも一斉にカメラやスマホを構え始め、船内がざわついたのをよく覚えています。

ガイドさんが語ってくれた軍艦島の歴史
上陸までの船内と、島に着いてからの見学中、ガイドさんが軍艦島の歴史をとても丁寧に、しかも飽きさせない語り口で説明してくれました。これが想像以上に面白く、ただ廃墟を眺めるだけでは分からない厚みを持って景色を見られるようになったので、聞いた話を自分なりに整理してここにも残しておきたいと思います。

軍艦島の正式名称は「端島(はしま)」です。長崎港からおよそ19キロ沖合に浮かぶ小さな島で、海底に良質な石炭の層が見つかったことから、江戸時代末期に採炭が始まり、明治に入ってから本格的な炭鉱開発が進められました。1890年に三菱がこの島を買収してからは、採掘で出た岩石(ボタ)を使って周囲を埋め立て、島そのものをどんどん拡張していったのだそうです。もともとはもっと小さな岩礁だったと聞いて驚きました。
埋め立てを繰り返し、周囲をコンクリートの護岸で固めていった結果、島全体が軍艦のようなシルエットになり、実際に見た人が旧日本海軍の戦艦「土佐」に似ていると評判になったことから「軍艦島」という通称がついたのだと、ガイドさんは教えてくれました。海側から眺めると、確かに艦橋のように見える建物があって、思わず「なるほど」と声が漏れました。
もうひとつ驚いたのが、人口密度の話です。最盛期の1960年頃、東京ドームおよそ3個分ほどしかない狭い島に、最大で5,300人以上が暮らしていたそうです。当時の人口密度は東京23区の9倍以上ともいわれ、世界でも類を見ない水準だったそうです。限られた土地に多くの人を住まわせるため、1916年に日本で初めての大規模な鉄筋コンクリート造高層集合住宅(30号棟)がこの島に建てられたというのも初めて知った話で、台風から住民を守るための工夫だったらしいです。護岸の石積みも年代によって工法や石の種類が違っていて、見比べてみると時代ごとの苦労の跡がなんとなく感じ取れます。

炭鉱としての軍艦島は、海底のはるか下、深いところでは海面から1,000メートル近くまで坑道を掘り進めていたそうで、採掘の現場は高温多湿で危険と隣り合わせの過酷な労働環境だったとガイドさんは話していました。それでも他の職種に比べて給料が良かったこともあり、全国から人が集まってきたのだそうです。命懸けの仕事の裏側に、あの密集した集合住宅での暮らしがあったのだと思うと、廃墟の一つひとつがただの古い建物ではなく、当時の人々の生活そのものに見えてきます。
狭い島の中には、学校、病院、神社、映画館、理髪店、パチンコ店まであり、屋上には子どもたちのための小さな庭園も作られていたそうです。7階建ての学校の校舎には、下の階に小学校、上の階に中学校が入っていたそうで、子どもたちは毎日ここで海と廃墟(当時はまだ現役の住宅)に囲まれながら過ごしていたことになります。一つの島の中で生活のほとんどが完結する、いわば小さな「垂直な都市」がそこにありました。しかしエネルギー政策の転換で石炭需要が石油に取って代わられると、1974年に閉山が決定します。島民は次々と島を離れ、わずか3か月ほどでこの島は完全な無人島になってしまいました。以来50年近く、台風や潮風にさらされ続けて建物は朽ち果て、今の廃墟の姿になっています。2009年に一部エリアの上陸が解禁され、2015年には「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された、というのが大まかな流れだそうです。

いよいよ上陸、廃墟の島を歩く
船を下りるとまず、上陸証を首から下げます。この小さなカードが「今、本当にあの軍艦島に立っている」という実感をぐっと強めてくれました。

見学は決められたルートを歩きながら、ガイドさんの説明を随所で聞く形式です。安全面から柵の外には立ち入れないのですが、それでも目の前に迫る廃墟群の迫力は写真で見る以上でした。潮風で赤茶けた鉄骨、崩れかけたコンクリートの床、蔦に覆われた窓枠。時が完全に止まってしまった場所に迷い込んだような、不思議な感覚になりました。

特に印象に残ったのは、赤レンガ造りの建物跡です。周囲のグレーなコンクリート建築の中で、ここだけ違う質感の煉瓦がむき出しになっていて、かつてここに生活の彩りがあったことをふと思い出させてくれます。ガイドさんいわく、こうした煉瓦の建物は採炭に関わる比較的古い時代の施設で、後年になるほど鉄筋コンクリート造の建物が増えていったのだそうです。

そしてやはり圧巻だったのは、崩れかけた高層アパート群です。窓という窓が失われ、コンクリートの骨組みだけが残った建物が折り重なるように並んでいる光景は、ドラマで見たあの景色そのものでした。フィクションの中の物語と、今まさに目の前にある現実の廃墟が重なって、なんとも言えない感慨がありました。ここでかつて5,000人以上の人が実際に暮らし、子どもたちが廊下を走り回り、屋上や隙間の路地で洗濯物が風にはためいていたのだと思うと、目の前の廃墟の見え方がまったく変わってきます。

見学路の途中には、島全体の配置がわかる案内板も設置されていて、今自分がどのあたりを歩いているのか、目の前の建物が何号棟でどんな役割を持っていたのかを確認しながら回ることができました。ガイドさんの説明と合わせて見ると理解がぐっと深まる、地味にありがたい存在でした。

この日は朝から曇り空で、正直「晴れていたらもっと映えたかな」と思っていたのですが、実際に歩いてみると、この鈍い光の方が軍艦島には似合っている気がしました。X100Ⅵのフィルムシミュレーションをモノクロに切り替えると、コンクリートの質感や錆の陰影がより際立って、まさに自分がイメージしていた「廃墟の島」の空気がそのままファインダーの中に収まってくれました。

同じ建物でもカラーとモノクロで印象がまるで違って見えるのが面白く、気づけば同じアングルを両方で撮ってしまう場面も何度かありました。

上陸を終えて
滞在時間はそれほど長くなかったのですが、廃墟を歩き、ガイドさんの解説を聞くだけで、驚くほど密度の濃い時間でした。帰りの受付では「軍艦島上陸記念証明書」ももらえて、地味にテンションが上がりました。形に残るものがあると、旅の記憶がより鮮明になる気がします。

船は来た道をたどって長崎港へ戻っていきます。だんだん遠ざかっていく軍艦島のシルエットを甲板から眺めながら、長年の「行きたい」がようやく叶った満足感でいっぱいでした。長崎港に着岸し、行き交う人々や街並みを見た瞬間、非日常から日常に戻ってきたのだなという実感が湧いてきました。

おわりに
ドラマをきっかけに再燃した「軍艦島に行きたい」という気持ちを、九州遠征のついでにようやく形にできた今回の旅。実際に上陸してみると、廃墟としての迫力だけでなく、そこに確かにあった暮らしの記憶や、日本の近代化を支えた産業の歴史まで感じ取ることができて、想像していた以上に学びの多い時間になりました。ガイドさんの説明があったからこそ、ただの廃墟巡りでは終わらない、厚みのある体験になったのだと思います。
ドラマを観ていたときは、あの島の景色をどこかフィクションの舞台装置として見ていたところがあったのですが、実際に自分の足で立ってみると、そこにあったのは紛れもなく現実で、かつて誰かが暮らし、働き、笑い、そしてこの島を去っていった場所なのだということを強く実感しました。廃墟の迫力に圧倒されながらも、その奥にある人々の生活の記憶にまで想像が及んだのは、ガイドさんの丁寧な解説のおかげだと思います。
天候によって上陸できないこともあるツアーなので、行く際はスケジュールに少し余裕を持たせるのがおすすめです。長年「気になってはいるけれど、なかなか踏ん切りがつかない」という人がいたら、ぜひ一度、実際にあの島に立ってみてほしいと思います。写真や映像だけでは伝わらない何かが、きっとそこにあります。
撮影機材
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